Nanka Gifu Kenjinkai


日本・他州からのメッセージ

日本からのメッセージ



昨年4月から異動となり、現在は県立病院のシステム管理を担当しています。岐阜市は暖冬の予想が外れて珍しいような大雪に見舞われました。暖かいカリフォルニアの気候が懐かしく思い出されます。
最近は厳しいニュースも多いですが、太平洋の両岸でお互い、厳しい冬が明ければ暖かい春の悦びを一段と強く感じられることと期待し、皆様のご健康とご活躍を心からお祈りいたします。
小木曽弘和さん(2010年新年会に寄せられたメッセージ)


あけましておめでとうございます。
帰国して早くも3年経ちました。静岡県三島市の日本大学国際関係学部で教壇に立っています。来週から期末テストです。テストの採点を終えれば春休みです。研究室の窓から正面に富士山が見え、とても素晴らしいキャンパス・ライフです。
昨年の東京岐阜県人会に参加しました。また大垣のソフトピアで講演し、岐阜県庁のロサンゼルス駐在員OB諸兄と旧交を温めました。南加岐阜県人会の皆さん、帰国されたらぜひお会いしましょう。本年もよろしくお願い申しあげます。

北岡和義さん (2010年新年会に寄せられたメッセージ)


あけましておめでとうございます。みなさんとは、遠く離れてるのが寂しいですが、なんか近くにいるような気がします。今年4月から自分も社会人となります。今まで岐阜とL.Aにしか住んだことがありませんでしたが、大阪で新しい生活が始まります。
自分には、夢があります。自分の夢はプロ野球選手になることです。小学校4年生から今まで野球をやってきて、野球をやっている人間なら、誰もが思うでしょう。自分はその夢を持ち高校へ進学しました。プロへ行くには、まず甲子園に行きたいので、岐阜の名門、県立岐阜商業に入学。しかし、甲子園には行くものの背番号を一度もつけることができませんでした。上には上がいることを実感、高校野球では悔しい思いしかありませんでした。高校のリベンジをと思い、大学でも野球を続けることを決意。しかし、大学では背番号を一度つけることができましたが、まったく活躍できませんでした。
そのころの自分にはプロ野球選手になりたいなんて恥ずかしくて言えなかったし、無理だと思っていました。いずれ野球をやめる日が来るし、将来のことを考えないといけないと思い、留学を決意。この留学をきっかけに自分は夢を追う決心をすることになります。L.Aで過ごしている間いろいろ方に恵まれ、お世話になりました。
その中でも、自分を変えてくれたのは、空手でした。自分はまったくの初心者でしたが、しごかれ日に日に強くなっていくのを実感し、自信が持てるようになりました。先生は世界チャンピョンの方で、偉大な方の下で空手に取り組むことで、今までの自分を見つめ直すことができ、忘れていた何かを思い出させてくれました。やっぱり野球がしたい、野球がうまくなりたいから厳しい稽古に耐えているんだなと。この空手が思わぬ形でよい方向へと自分を導いてくれます。日本に帰ってピッチングをしたところ、今まで125キロくらいのストレートが140キロ越したのです。これには自分もビックリしましたが夢へ挑戦する自信と勇気が涌いてきました。
しかし、ここからが大変でした。去年は広島カープのテストを受けるなど、野球のトライアウトを受けてきましたが壁を感じ、球が速くなっただけでは無理だし、もっと速い人はいっぱいいます。本当にもう無理かと思っていました。もう本当に最後の最後のテストでした。ありがたいことに最後のテストで合格することができ、関西独立リーグで野球ができることになりました。過去が無名だろうと関係ありません。エリートには負けたくありません。地道にコツコツと自分は練習を重ねてきたの合格できたと思います。
しかし、上へ行けば、行くほど、もっともっと大変になるので、もっともっと練習して、夢へ近づいていきたいです。今の自分は確実に夢へ近づいています。みなさんも、目先のことにとらわれず、地道にコツコツ努力を積み重ねれば、何かが見えてくるし、目標や夢へ近づけるのでお互い頑張りましょう。遠くからも温かく見守っていてください。

小見山卓 さん(2010年新年会に寄せられたメッセージ)


mekata
このたび南加岐阜県人会のウエブサイトが立ち上がり、大変喜んでおります。私は89年から97年までそちらで過ごさせていただきましたが、帰国後いつも何かにつけて想い出されるのは、そちらでのことばっかりです。
これからはこのサイトを通じて、皆様とまた身近に接していけますし、いろんな情報もいただけるので大いに楽しみにしております。
北岡さんをはじめ、サイト立ち上げにご苦労いただきました各位に感謝しております。

元会長 目加田光男さん

州外からのメッセージ

あけましておめでとう御座います!!
常夏ハワイより南加にお住みの岐阜県人及び友人の皆様へ新年のお喜びを申し上げます。
昨年よりハワイで岐阜県人会の会長を引き受けています岐阜市長森野一色(富田学園前)出身の玉井です25年間の渡りハワイ岐阜県人会を見守って来ましたが最盛期には30名程在籍されていたものの、その後はジリ貧で、今では15名前後でしょうか?又、同化?なのか先祖や親戚を思い出す時代でもなさそうで、残念ながら思い掛けない再会も期待薄の人間模様です、新移民も資格の問題もあり期待できない上に少子化時代ですから、この程度集まれば上出来だと考えています。
あと一週間ほどで2015年度の新年親睦会の日程を決めますが、2月初旬に近くの地元のレストランで昼食を兼ねて、日本の旅などの思い出の写真を持参、披露して会話を楽しみます。
私個人は観光案内業で(リムジン車)で生きて来た関係で、過去は毎週のごとく岐阜県からの観光客に接して、岐阜県だけでも数千人(大げさ)の方と知り合いになれ人生の良い思いでとなりました、そのお陰で、毎年岐阜でハワイの写真と書道(相田みつをさんの様な詩を書で書く)の個展を開催、その折には数百人のハワイで案内した人達と再会する機会まで持てる様になりましたよ、この春で21回目、14年目に入ります、主にJR岐阜駅隣接のハートフルGと各務原の境川、市民公園でのサクラ祭りの会場の提供を受けています。
おめてとう!の一言で良い所、長々と書いてしまいました、みなさんにお伝えされるなら、かいつまんで適度にご挨拶して置いて下さい。今年も意義ある良い一年をお過ごし下さい。

玉井ひろみつ 73歳 (2015年新年会に寄せられたメッセージ)


岐阜県人会の皆様、新年明けましておめでとうございます。
去年は、思い切って、29年間の長きにわたって住み慣れたカリフォルニア州を後に し、ワシントン州に引越しました。オレゴン州と、ワシントン州の州境にある、バンクーバーという町に住んでいます。(冬季オリンピックが開催される、カナダのバンクーバーではありませんので、お間違いなく)人口がトーレンス市とちょうど同じ位の、こじんまりした、美しい町です。セント・ヘレン山と、フード山という、2つの山に囲まれて、清流あり、山あり、森 ありの、 私の生まれ故郷である岐阜県の山間部に似た、空気のきれいな町で、地元でとれた野菜がおいしいです。皆さんご存知のとおり、ワシントンはチェリーやリンゴの産地として有名でもありますし、お隣のオレゴンでは、地元産のワインやビールが美味しいです。クリスマス前後には雪が降り、ホワイト・クリスマスでした。
岐阜県人会とは、長いおつきあいをさせていただきましたので、離れてしまって、新年会とか、ボーリング大会とか、ピクニックとかに参加できなくなるのが、とても さびしいです。カリフォルニアと違って、こちらでは、あまり日本語で話すチャンスがなく、ましてや、岐阜弁で話せるチャンスは皆無です。しかし、現代は、物理的には離れていても、インターネットで、いつでも顔を見ながら話せる時代ですので、今後は、そのような形でも、県人会と繋がっていられたら、と思います。
どうか、これからも、よろしくお願いします。またいつか、皆さんにお会いして、「やっとかめやなも」と言い合える日が来ることを楽しみにしております。そして、岐阜県人会の皆様にとって、2010年が、素晴らしい年になりますことを、心よりお祈りいたします。

トレーシー田口さん(2010年新年会に寄せられたメッセージ)

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