Nanka Gifu Kenjinkai


100周年 ― コメント
去る8月28日カリフォルニア州・トーランス市で開催された南加岐阜県人会100周年記念式典に、私は岐阜県日米協会の国際交流員の1人として参加した。当南加岐阜県人会の存在を初めて知ったきっかけについては、私の大学の後輩であり、日本大学で教鞭をとっている南加岐阜県人会の元会長・北岡和義氏から背中を押され、南加岐阜県人会の現会長・ハッピー水谷氏が昨年9月来岐された折に岐阜市で会食したのが動機でした。爾来、当会に関心を持つようになり、岐阜県の地元紙・岐阜新聞に連載の「南カリフォルニアからの風」に興味を持つようになった。過日トーランス市で盛大に催された南加岐阜県人会100周年記念式典出席は「郷土意識を育み、異国文化の交流をする出会い」の好機」と捉えた私は自主的に参加した。南加岐阜県人会の現在の構成員はかなり世代交代しており、会の運営は大方、日系社会の若い新進気鋭メンバーの会員で、職域関係のグループからなる有志の活が主体であった。日系社会の各会長、デトロイト、ニューヨーク等米各地からの岐阜県人会の代表者や地元南加在住者で故郷・岐阜県から南カリフォルニアへ移民・移住されて、故郷を同じくする165名が祝福に駆けつけた。現在の岐阜県人会の基礎を築き上げた先人らを称え、故郷への認識や交流を深め合い同郷人を思いやる気持ちを次世代に伝え広めて行こうと誓う同郷同士が、団結により相互の発展・繁栄を築き上げる糧にしようと南加岐阜県人会記念大会に参加したものだ。故郷と岐阜県の絆を通じ、地域と地域、国と国の相互理解と協調を促進する上で、意義深いと考えた私も、折りしも、歴史的な円高も加って、今回で第4回目になるラッキーなアメリカ旅行を決意した。南加岐阜県人会員との草の根の交流を享受出来たトーランス市での滞在は5日間の短期間ではあったが、私にとって、今回も新しい一つの発見があった。それは、初めてフリーウエイで2人以上で相乗りした際、専用の優先車線(レーン)がメリカのフリーウエイには設けられている事だ。その優先車線を初めて私は仲間と4人で同乗・利用した。そのレーンのお蔭で、ロサンゼルスとその周辺の地理に明るい同行仲間である友の運転と名案内で私達4人は一台のレンタカーを借り、優先レーン走行の醍醐味を満喫し、その快適さを堪能した。全米系人博物館では移民の歴史、収容所の様子、ヨーロッパ戦線でアメリカ兵として戦った日系人部隊、戦後の日系アメリカ人の活躍に感動した。ロサンゼルス市内でのショッピングやその近郊のサンタモニカ・ピアー、ロングビーチ観光やリトル東京で「握りずし」賞味したり、語学研修専門学校を視察して有意義なひととを過した。フリーウエイの優先車両専用レ?ンを走行した際、右ハンドルで左側車窓から見た他の3車線の交通渋滞を尻目に、すいすいと追い越せる、その気分の爽快さや片側4車線もあるフリーウエイを週末には遊びに向かうキャンピングカーなどがそこを流れている光景はまさに、「アメリカらしさ」の象徴ださえ私には映った。南加岐阜県人会各会員は「人種や文化」が混ざり合った中でのアメリカ社会で生きて行かねばならない。そのためにはアメリカの生活になじみながらも「自分自身」の「自分らしさ」を見失ってはいけない。水谷会長初め歴代会長と会員の尽力で、異文化社会の中で、異文化交流の輪を広げながら、メリカと日本の文化の多様性の中で、「祖国を思う気持ち」と「同郷人を思いやる気持ち」の両方を持ち合わせ、元気で逞しい南加岐阜県人会員の生き様にエールを送りたい。 苦労や困難や時には差別を克服して同郷同士助け合いながらこれからも団結して行ってほしい。、岐阜県人会はまさに日本とアメリカとの架け橋的な役を果たしている重要な団体だと思う。各会員の活躍の姿を見聞した私は彼等に敬意の念を抱くと同時に、私の日系アメリカ人社会への関心は倍加した。これを機に私の周りの県民にも声をかけ、今後更に南加岐阜県人会との友好関係構築に尽力を惜しまない気持ちだ。
川瀬久正さん(岐阜県日米協会会員)

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